ミーちゃんの縁側で、旅行の話なんかを聞く。
11.きのこのような景色。
トルコ一周とカッパドキアの旅。
1986・10・24発14日間
トルコは女学校の頃「地理の時間」で
カッパドキアの「きのこが生えて居るような景色」を
写真で見てから見たくて堪らなかった。
まさかそこへ行けるとも思わないで居た。
旅行社から来る季刊誌で見つけ
どうしても行きたいので行くことにした。
が、近くには誘う人もなく「一人参加」で、
行ってから同室の人が決まった。
日本を夜の9時頃発ってアムステルダムで乗り換え
トルコの首都アンカラに翌日の午後5時頃着いた。
翌日アンカラを観光して夕方カッパドキアへ着いた。
小高い石の丘の上に小さなホテルが一軒
丘からはみ出しそうに建っていて
窓から辺りを見ると、
見渡す限り岩がごつごつと続いている。
白っぽい砂の色のみ。
ここからは歩くより仕方がない。
松茸の傘の未だ開いていないような形の岩が、
にょきにょきと、見渡す限り立っている。
この辺も「隠れキリスタン」が地下に穴を掘って
「地下都市」を造っていた(カイマルク)が有る。
この辺を少し離れたところに
砂漠も有りラクダに乗らせる商売の人が居て
「乗らないか」と叫んでいる。
なんとなく私達はブラブラしていて
2・3人乗った人も居た。
裸ラクダなので怖いのだ。
私はエジプトのスフインクスのそばで乗ったが、
立ち上がるときは良いが、
降りるときはラクダが前足の膝を折って座るので
ガクンガクンと人間が頭から堕ちそうになる。
そんな事なので乗る気は無いのに突然来て
私をひょいと抱き上げ「お客」にしようとした。
私は怖いから足をバタバタ子供のようにさせて
「いやーん」と、大きな声を上げた。
すると、「元締め」らしい人が、大きな声で怒鳴った。
それで私を離した。
一度乗った経験が有るので、
「怖い」と知っていたので騒いでしまった。
まるで子供のように。
後で恥ずかしくて汗が出た。
これも忘れない想い出と思って大事にしょう。
その後コンヤ市内パムカレ
(岩が白く綿の様に見え上の「水溜まり」に空の
青さが写ってとても綺麗なところ)。
私は空が黒く曇っていたのでグレ-に見えた。残念。
それからコンヤの市内観光などした。
此処まで何日かトルコでは
トマトが何のお皿にも食事の時付いてくる。
私の同室の人はトマトが大嫌いで
お皿に一切れ載っていてもそのお皿のお料理は食べないので
「栄養状態」が、悪いためか
高い熱が出てベッドの上でがたがた震えてきて
棚の上にあった毛布や私のや
2枚に畳んで10枚にしてかけても、
なかなか震えが止まらない。
添乗員さんもタオルで冷やしてくれたりしたが
お医者も呼べず、その内眠った様だったので私も寝た。
一夜明けたが観光どころではないので
その日は私も隣のベッドで横になってのんびりしていた。
14日間の旅で未だ先が永いので
丁度中休みに成りよかった。
だんだん快方に向かい、食事もホテルで柔らかいものに
して貰ったような気がするが
どうしたのか良く覚えていない。
隣のベッドで一日寝ていてもと、
私は散歩がてら郵便局を見つけて
切手でも買うつもりで一人で出かけた。
他の人は観光に出かけて居ないので。
10分くらい歩いたところで割に大きい郵便局があった。
言葉も解らないが何とかなるとカウンタ-の様なところに
係員の様な人が居たのでそこへ行った。
すると私のとなりに係員と同じ服装の人が来て
私が切手を求めたい事がその二人に解ったらしく
にやにやしながら喋っていた。
その前から私は日本円にして5千円くらいの
トルコのお札を手に持っていた。
切手を10枚買ったように思うが、
いくらかトルコ紙幣でお釣りをよこしたので
「サンキュウ」とか言って帰ってきた。
散歩には近すぎるようだった。
帰ってから財布へお金を入れて
何となく少なくなったような気がした。
つくづく考えてみると
日本円で何百円の単位の支払いだったと思うのに
桁違いに3千円と言うような払いをしたらしい
と思い始めた。
あの時私が大きいお札を持っていたので
あの2人が、にやにやしていたが、
桁違いにしてお釣りをよこしたのかしら?と。
夜になって観光を終えてみんなが
どやどやとかぇってきた。
添乗員さんにその話をしたら、やはりそうだからと
郵便局にホテルの人から電話をして貰ったところ
本人は帰って明日は休みだからその後になると言われ
結局「旅」は続いているので
そんな交渉などしていられないので、
そのまま終わりになった。
こんな程度で良かったと思いながら
恥ずかしかった事を思い出す。
|