ミーちゃんの縁側で、旅行の話なんかを聞く。
2.飛行機がこわれて、
自動車で8時間のパキスタン。
1980年夏の終わり頃新聞を開いて何となく見ていたところ
下の方に横いっぱいで
縦15センチくらいの「山脈」の
雪をいただいた素晴らしい写真がパッと眼を突いた。
こんな山が見えるところに行ってみたいな-と思い始めた。
馴れないながらも 手続きを始めた。
行く先は「パキスタン」で
「JTB」の「パキスタン.モニター旅行」となっている。
募集人員400名(各回40名10回)で30名から催行とある。
お友達も、こんな所では誘えない。
遂に一人で申し込んだ。
昭和55年10月3日成田発のにした。
成田から北京経由なので途中飛行機から下の方を見ると
「カラコルム山脈」(新聞で見て感激していた山脈)が、
良く博物館などで見る地形の模型の様に見えた。
生まれて初めての経験だった。
山脈を越えてパキスタンのラワルピンジに着いた。
翌日はタキシラ観光
(ガンダ-ラ帝国時代栄えた仏教美術の遺跡)や、
首都イスラマバ-ドの市内観光
(此処は前の首都カラチから
最近移ってきたばかりで
各国の大使館など未だ出来上がらない所など有り
広大な平野に政府の思うように
道路や建物を造り大都市が、 ぽんと出来たのだ)
その翌日は飛行機でペシャワ-ルに行き
バスで17km離れているアフガニスタン国境
カイバル峠観光(密輸の品物を売る露天商が並んでいる)
ペシャワ-ルでは
密輸の元締めの豪邸など中へ入って見た。
他に博物館など見学。
その夜、 飛行機でラホ-ルへ行き
翌日「城」や庭園、博物館、バザ-ル等廻り
その夜飛行機でカラチへ飛んだ。
カラチは最近まで首都だったので
経済・貿易の中心地。
カラチでの翌日は自由行動なので
私と同室の人はオプショナルツア-で
カラチから660Km離れた
「モヘンジョダロと言うインダス文明都市」観光に
行く申し込みがしてあり
チャ-タ-した小型機で行った。
1時間でモヘンジョダロの小さな空港に着いた。
ここまでは相当大変だったが順調だった。
ここは日干し煉瓦で出来た5000年前の都市遺跡で
紀元前1500年前に突然、 崩壊したと伝えられているが、
原因は今なお謎につつまれている。
この遺跡は数百メ-トル四方に散在している。
これを見ている時は物凄い暑さで
木陰一つ無く煉瓦のかけおちた家や、大浴場、
穀物倉、城塞、下水溝など有り驚くばかりだが
「暑い」のでそれはそれは疲れた。
どうにか見学が終わり、
チャ-タ-した来た時の小型機に乗り込んだ。
機内も汗だくだくになる暑さだ。
照明もなく冷房もなく30分以上機内でじっと待っていた。
なんで出発しないのかと
各自疲れた体で、ぐったりしていた。
その内、降りてください。と言われ
何がなんだか解らないままみんな黙って降りた。
待合所へ兎に角戻った。
しばらく経って添乗員さんが
「バッテリ-が、あがったのでこれから取りに行って
取り替えますが、それまで待つか、
又は自動車で8時間かけてカラチへ帰るか、
どちらが良いか決めて下さい」と相談した。
みんなもう飛行機は嫌です。
こんなに暗くなっているところで
取り替えて変なことになるのは嫌だからと
車の方を皆で決めた。
飛行場と言っても遺跡を見るだけに有るので
1台小型機が止まるくらいの小さな所で
近くには灯りもない。
その内一人の40歳くらいの奥さんが、脱水症状で
「飛行機も嫌だー車も嫌だー」と暴れだしたので
次の町の病院で診てもらうことになり
4台の9人乗りの車に分乗して出かけた。
1時間くらい走って町があり
小さなホテルの4部屋を借りて
病人がお医者さんに往診して貰う間
他の人はベッドの上に腰掛けたり寝ころんだりして
待っていた。
ホテルでお弁当にするサンドイッチを作って貰ったらしく
車に乗ってから配られた。
その間約1時間くらいだったか?
又走り出した。
道幅は10メ-トル程有るらしいが
何しろ街灯一つ無く自分の車のヘッドライトの光だけで
周りは一面の原っぱで
ぽやぽやっとした箒草のようなのが
一面に生えているようだ。
2時間ほどしてその原っぱでトイレ休憩して
そんな様子が解った。
50センチくらいの草の影で用を足すのだ。
暗い事は生まれて初めての経験だった。
上を見れば星が「細かい宝石」を撒いたように
輝いている。これにも驚いてしまった。
みんなで「星っていつもこんなに沢山有るのかしら???」
と、口々に言い合って
感嘆と、驚きでしばし興奮していた。
こんな素晴らしい空も見られたし、
飛行機のバッテリ-があがってしまったマイナスも
プラスになった事だと神に感謝した。
こんな事は「願っても出来ない事」と思った。
サンドイッチを食べて程良い揺れに眠ってしまった。
カラチへ着いたのは朝だった。
カラチから飛行機で1時間で行けるところを
飛行機のトラブルで自動車になり
8時間もかけて帰ってきたことは
肉体的には大変だったわけで
眠たいことも加わり今の私だったらどうかしら?
と、このときの旅を思い出す度に考える。
でも「降る様な星を見た感激」には
出会わなかったでしょう。
(つづくわよ)
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