浅草今昔展 編

その2 江戸浅草のにぎわい、「奥山」の盛り場
江戸東京博物館で開催中の『浅草今昔展』。
その主担当学芸員である沓沢博行さんに、
前回はこの展示会が開催されるまでの経緯と、
浅草のなりたちなどをうかがいました。

今回は、江戸有数の盛り場、
浅草「奥山」についてのお話になります。

── 『浅草今昔展』の図録に、
浅草は「聖」と「俗」が一緒になった場所だ、
というようなことが書かれていますよね。
沓沢 ええ、そうですね。
でもそれは浅草寺さんだけに限らず、
あらゆる聖なる場所の傾向だとも思います。
昔は、信心する場所のまわりに縁日が立って、
よく見世物などが出ていましたよね。
── あ、そうか‥‥。
沓沢 「大イタチ」とか「ヘビ女」とか、
なにかいかがわしい見世物が並んでたわけで。
やはりそういう俗な部分が同居して、
盛り場というものは形成されてきたのでしょう。
浅草寺は、とくにそれが顕著だったのかなと。
── 大きかった。
沓沢 大きいですね。
── 江戸のころでいうと、
その規模の盛り場は他になかったんですか?
沓沢 両国と上野山下と、それから浅草、
この3カ所が盛り場として並び称されたんですが
浅草地域は一段抜けていたと思います。
── 群を抜いて。
沓沢 ええ、吉原や猿若町が加わると一層ですが、
盛り場としてみただけでも‥‥
これは1798年の浅草寺境内の様子になります。


▲観音境内諸堂末社諸見世小屋掛絵図 浅草寺所蔵
※各画像は、クリックすると大きくなります。
── ああ、きれいに保存されていますね。
沓沢 これも浅草寺さんからお借りした絵図です。
境内に見世(店)が点在していて、
それぞれに色分けがありますでしょ?
── はい。
沓沢 色がついてるのは、とくに赤色や黄色がついてるのは
古くからあるような
わりとしっかりとした店舗なんです。
逆に色がないのは‥‥。
── 「無屋根」って書いてありますね。
沓沢 その名の通り、屋根も無いような簡易な
店舗のことです。
境内裏手の西側に「無屋根」が多いでしょう?
── はい。
沓沢 そのあたりが「奥山」と呼ばれる場所です。
── あ、ここが「奥山」。
沓沢 いま開催されてる『浅草大観光祭』でも
このあたりに奥山の風景を再現して、
いろいろな出店が並んでいるんですよ。
── そうですか、それは行ってみたいです。
沓沢 当時の奥山は、見世物小屋が立ち並び、
講釈や軽業の大道芸も盛んで、
たいへんなにぎわいだったようです。
── この人は、曲芸師ですね。


▲松井源水の曲独楽(『近世職人絵尽』より)
 狩野晏川/模写(原本は鍬形薫斎/画) 館蔵
沓沢 松井源水という、コマ回しの名手です。
この人は、 後にロンドンで興行してるんですよ。


▲The Japanese Jugglers at London(ロンドンの日本人曲芸師)
 「THE ILLUSTRATED LONDON NEWS」より 館蔵
── 英文だ。
沓沢 その当時イギリスで出された新聞です。
── これは海外でも目を引いたでしょうねえ。
沓沢 幕末になってパスポートができるんですが、
そのパスポートを使用して
いちばん最初に出国したのが、この松井源水の一座なんです。
── へええええ〜。
そうですかあ‥‥思わぬ知識もいただきました。
沓沢 あとは、こうした水芸ですとか。


▲大阪下り桜綱駒寿 歌川芳晴/画 館蔵
── 軽業師ですね。
沓沢 火のついた細いロウソクを並べて
その上を歩くというのもあったようです。
これは軽業というだけでなく、
奇術の要素もありますよね。
からくりのあるマジック。
── ん? これはまた大きな‥‥。


▲籠細工 浪花細工人一田庄七郎
 歌川国貞/画 館蔵
沓沢 左下にいる人が本来の人間ですので
その縮尺でいうと7メートル以上あったと。
── そのくらいありますよねえ。
これは何か「ねぶた」のように竹を編んだ?
沓沢 ええ、おそらく。
こういう、とにかく大きななものを作るのが
見世物のひとつとして流行していたんです。
── いまと同じですね、人を驚かせる方法って。
沓沢 その中でもとくに大きかったのがこれなんです。


▲浅草金龍山境内において大人形ぜんまい仕掛けの図
 歌川貞秀/画 館蔵
── これは大きい!
沓沢 大人形ぜんまい仕掛けというもので、
中から人形が出てきたりして、動くという。
── 巨大カラクリですね、すごいなあ。
沓沢 ただ、これ、大きくてお金かかりすぎるから
幕府にとがめられて「興行まかりならん」
と言われちゃうんですよ。
── ええ?(笑) じゃあ、この絵は?
沓沢 これは宣伝用の錦絵なんです。
まあ、やるにはやったんですが
なにしろ幕府に怒られましたから
カラクリ仕掛けとかあんまり使わず、
つまらないものになったらしくて。
お客も入らず、話題にもならずに消えたと。
── あー(笑)。
ということは誇大広告ですか、この錦絵は。
沓沢 あと、おもしろいのは
ロバが来たという見世物がありまして。


▲驢馬 浅草観世音奥山ニ於テ興行仕候(引札)
 森屋治兵衛/版 館蔵
── はい、ロバがいますね。
沓沢 400両で買い付けてきたとかで。
でも、見世物としてロバっていうのは‥‥。
── いかにも地味ですよね。
「馬じゃねえか」って言われそう。
沓沢 当時の興行主もそこが不安だったのでしょう。
このロバに中国風の扮装をした女子を乗せて
笛や太鼓で行進したそうです。
さらに「ロバをみれば天然痘がかるくなる」と、
当時の流行病に効果があるような、
そんな御利益までうたっていたんです。
── いろいろ付け足して(笑)。
怪しげなものがいっぱいですね、奥山は。
沓沢 はい、あの手この手で。
── なるほど、浅草という場所は、
こうしたにぎやかな盛り場に加えて、さらに
人を引きつける要素があったわけですよね。
沓沢 ええ。そのひとつが、
吉原の遊郭です。
  (つづきます)
2008-10-28-TUE

 

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