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海馬。 頭は、もっといい感じで使える。 |
第2回 生きることに慣れてはいけない 今日は、まずはじめに、ほんまもんのニュースから。 あなたは、5月2日の新聞を、読みましたか? http://www.yomiuri.co.jp/top/20020502it01.htm ↑こちらは「読売新聞」にリンクをはりましたが、 もうすぐ『海馬』を出版する池谷裕二さんの研究室が、 アルツハイマー病の発症のメカニズムを つきとめた、という報道があったのですよ。 ![]() 記事の中で池谷さんは、 「βアミロイドがグリア細胞に作用する仕組みを さらに詳しく調べ、新薬開発につなげたい」 という渋いコメントを述べる人として登場しています。 アルツハイマー病のための新薬開発は、 記憶を研究テーマにしている池谷さんにとっては、 ひとつの大きな目標だと、「ほぼ日」も伺っておりました。 だからこそ、脳の記憶について、長期記憶の入口である 「海馬」という部位から研究している・・・と、 これは今度の単行本の中でも語られることなのです。 今日は、脳についての話題の端緒として、まずは、 池谷さんが単行本の冒頭で話している部分を、紹介します。 ここで話してくれた内容は、今後わたしたちが 脳や海馬や生き方についてを探ってゆく旅の、 最初の方位磁針のような役目を果たすと思います。 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 【※池谷裕二さんによる談話】 「最近もの忘れがひどい」という話をよく聞きます。 「もうこの年齢だから、脳を鍛えるといっても限りがある」 という声もよく聞きます。 だけど、ほんとうはそんなことはないんです。 その誤解を解くだけでも、 ずいぶん違うのではないかなぁと思っています。 例えば、ぼくは、まわりの人があきれてしまうぐらいに、 もの忘れをしてしまいます。 学生に「こういう実験をしたら?」と言ったはずなのに、 一週間後にその実験をしている姿を見て 「なんでそういう実験をやっているの?」 と訊いたりする。挙句の果てに、 「その実験はあまり意味がない」 みたいなことさえも言ってしまう・・・。 もの忘れがひどいのは昔からなのです。 ![]() だけどぼくは、忘れっぽくても 「もっと覚えたいなぁ」「年をとったから忘れっぽくて」 というようには、あまり思いません。 痴呆のような病気をのぞけば、 「年を取ったからもの忘れをする」 というのは、科学的には間違いなんです。 痴呆の症状としてのもの忘れは、 ふつうに言われる「忘れっぽい」ということとは、 明らかに一線を画すものですし。 もの忘れやド忘れが増えると思えてしまう理由は、 いくつかあります。 子どもの頃に比べておとなは たくさんの知識を頭の中に詰めているから、 そのたくさんの中から知識を選び出すのに時間がかかる。 「おとなが一万個の知識の中から ひとつを選ぶようなものとしたら、 子どもは十個の記憶の中から ひとつ選びだすだけだからすぐにできる」 というような比喩ができます。 ただ、それだけのことなのです。 生きてきた上でたくさんの知識を蓄えたわけだから、 これはもう仕方のないことと言っていいと思います。 それと実は、子どももたくさんド忘れをするんです。 ![]() ぼくも小さい頃から あちこちにものを置き忘れて困った記憶があるのですが、 ただ、子どもはそのド忘れを気にしていないだけ。 それが健全な姿だと思います。 おとなと子どもとでは、記憶の種類が変わるだけなんですよ。 おとなと子どもとの違いとして、もっとも大きな点は、 「子どもはまわりの世界に白紙のまま接するから、 世界が輝いて見えている。 何に対しても慣れていないので、 まわりの世界に対して興味を示すし、世界を知りたがる。 だけど、おとなになると マンネリ化したような気になって、 これは前に見たものだなと整理してしまう」 ということになるのだと思います。 おとなはマンネリ化した気になってモノを見ているから、 驚きや刺激が減ってしまう。 刺激が減るから、印象に残らずに 記憶力が落ちるような主観を抱くようになる・・・・・・。 ![]() ですから、脳の機能が低下しているかどうか、 ということよりも、 まわりの世界を新鮮に見ていられるかどうか ということのほうを、ずっと気にしたほうがよいでしょう。 生きることに慣れてはいけないんです。 慣れた瞬間から、 まわりの世界はつまらないものに見えてしまう。 慣れていない子どものような視点で世界を見ていれば、 おとなの脳は想像以上に潜在能力を発揮するんですよ。 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ (※次回はあさって木曜におとどけ。おたのしみに!) |
2002-05-07-TUE
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