御手洗 |
ブータンの人たちは、
人口がたった70万人のあの小さな国から、
世界の動向やいろんなものがよーく見えているんです。
井の中の蛙という感じが
まったくしないといいますか。
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糸井 |
外国の学校で学ばれる方も多いんですよね。
日本人の場合だと、
外国で勉強すると臆しちゃうのか、
その国の基準に自分を当てはめようと
してしまうところがあるけれど、
ブータンの人たちは、
外国のやり方を学びながらも、
自分たちの基準をきちんと持っている。
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御手洗 |
そうですね。
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糸井 |
日本も日本の基準で
やっていければいいと思うんですけどね。
その点、ブータンはまさに
自分たちのものさしを使っているというか、
有名な「幸せのものさし」がありますけど。
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御手洗 |
GNH(国民総幸福量)ですね。
しかも、それを絶対視しているわけでは
ないところもおもしろくて。
ブータンの人たちは、
首相や政府の高官の方も含め、みんな
「でも結局のところ幸せは、とても主観的で
個人的なものだ。単純に計れるものじゃない」
ということがよくよくわかっているんです。
それに、計ることそのものが目的ではないことも。
ただ彼らは純粋に、「みんなが幸せでいられる国」を
作りたいと思っているんですね。
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糸井 |
ぼくもブータンの首相にお会いしたときに
そう聞きました。
「GNHというものを作ったけど、それが絶対じゃないんだよ」
みたいな感じでしたよね。
いろんなことが見えているというか、
自分たちのことがわかっているんですよね。
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御手洗 |
そうですね。
たとえば産業ひとつとっても、
ブータンの人たちはすごく冷静なんです。
国のいちばんの産業は水力発電なんですが、
ヒマラヤの山が急傾斜で
大量の雪解け水が流れているから
それを水力発電に利用しているんですね。
で、それを隣のインドに売っている。
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糸井 |
そう、電気を売っているんですよね。
素朴なおみやげものを売っているわけじゃない。
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御手洗 |
そうなんです。物作りに関しても
ブータンの人たちは達観していて、たとえば、
「ぼくたちはインドと中国に挟まれているので、
普通の物を作ったところで、
大量生産できる国のほうが価格も安くできるし、
いずれクオリティだって抜かれちゃうから、
勝てないんだ」と言っていたり。
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糸井 |
うん、うん。
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御手洗 |
いつもは「YouTube見た?」なんて言って
ふざけているように見える同僚たちなんですが、
考えることは、考えている。
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糸井 |
すごいねぇ(笑)。
なんなんでしょうね、その、
自分たちの立ち位置を当たり前に
しっかり把握している感じは。
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御手洗 |
なんなんでしょうね。
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糸井 |
ブータンの人たちって、
「主観が生きているなぁ」って思うんです。
日本では、人の「主観」というものが
いつからか軽んじられてしまって、
議論していても
「それは主観だろう?」
みたいな言い方をされるんです。
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御手洗 |
はい。
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糸井 |
そう言われると、言われたほうは、
引っ込めざるをえないというか、
「そうは言っても、ぼくはいいと思う」
っていうふうに言うのが精一杯で。
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御手洗 |
そうですね。
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糸井 |
みんなの主観が一致していれば、
ひとつの力を持つんですが。
主観を軽んじる時代がずっと続いていて。
だから、そういう点に関しては
主観がありすぎるくらいのブータンの人たちを、
ちょっとうらやましく思うんですよね。
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御手洗 |
たしかにブータンの人たちは主観があります。
だから、たとえば喜怒哀楽を
すごくはっきり表すんですよ。
私も、日本にいたときは、
あまり怒ると子どもっぽいかな、とか
感情をちゃんとコントロールしないと、
などと思っていたのですが、
ブータンではみんな気持ちがいいほどキレたりする。
だから、自分の心がややこしくならないんです。
怒りたいから怒って、
おもしろい話があればゲラゲラ笑う。
私たちがふだん勝手に
「負」の感情だと決めつけてしまっている
「怒る」とか「悲しむ」だとかも含めて、
自分の感情をまるごと肯定できるように思いました。
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糸井 |
御手洗さんも、よくツイッターで
「こういうことがあったんだから、
私、怒っていいですよね‥‥?」
とかって書いていましたよね。
ふつう、怒っている人って
あんまりおもしろくないんですが、
あの「怒っていいですよね」は、
感情的なんだか、理性的なんだかわかんなくて、
おもしろかったなぁ。
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御手洗 |
(笑)
(つづきます) |