TV
テレビという神の老後。
電波少年T部長と青臭く話した。

第9回 その作品は、消費者の舵を切らせたか?


糸井 ぼくも、土屋さんの年齢の時には、
「自分の幸せなんて、どうでもいい」
と思っていました。
「個人の幸せなんかを超えた場所を作りたい」
と思って、命を粗末にするからできるような
おもしろいことを、しようとしていたんです。
「原爆を作りたい」みたいな気持ちだった。
それが、この年齢になる間に、変わったんですよ。
土屋 なるほどなぁ。
ぼくは確かに、今日までは、
「ぜんぶ、いいよ」っていうほうだった。
たまにはモテてみたいかもしれないけど、
それも、要らない。
子どもとも最低限のつきあいでいい……。

昼間は昼間で、メシのタネとしてなのか、
研究の一貫として、日本テレビで
この、ザ・テレビというべき
大きなメディアについてのことをやっている。
夜は夜で電波少年的放送局であれこれ考えている。

今考えていることって、
CSについてのことが多いんです。
「何だろう? これは何だろう?
 これはいったい、どこに辿りつくのだろう?」
と考えているのですが、
ともかく、地上波の「ザ・テレビ」と、
CS放送のような「カウンターテレビ」とのことを
考えているという毎日ですね。
糸井 地上波にもCSのどちらにも、
きっと今、土屋さんの
「自分の欲望」は、ないんですよ。
ぼくは、今、自分の欲望、ありますもの。
やっていることは
自分の欲望を手放している時と
そっくりになるんですよね。

自分の欲望とみんなの欲望と、
両者が出会ったところに場所があって、
きれいな言い方をしちゃうと、
笑顔とかよろこびとか感動とか、つまり、
「うわぁ!!」という読者の声ですよね。
その深度が、欲しくなるんです。

ウッチャンナンチャンが
水泳をしましたよ、という時に、
ぼくも、やっぱりテレビ見て泣くわけです。
ぼくはもう、土屋さんの番組に
泣かされたことが何度あるかわからないよ。
「あぁいうの、俺は、泣くのよ!」
って、次の日に事務所で言ったりもする。

ただ、それは、ある作品で泣いたのであって、
「明日、だから俺はこれをやろう」
とは、思わないんです。

土屋さんがさっき、
「テレビは、見た人を幸せにするものだと思う」
とおっしゃったんですけれども、それは
最終的には、「だから、これをやった」という
見た人の舵を切らせたかという問題に、
やっぱり、なってくると思うんです。
土屋 そうですね。
糸井 土屋さんの番組は、
ティーンネイジャーの舵を
たくさん切らせているけれども、
でも、あれで会社を辞めさせているとは
思わないんですよ。

でも、俺は、土屋さんの年齢と
自分の年齢との間にあった大転換点のおかげで、
中年の人生の舵を切らせているという
実感があるんですよ。
昨日、「ほぼ日」4周年の
お祝いのメールをくださいって言ったら、
たくさんのメールをいただいたのですが、
それを読んでいると、
みんな、明らかに舵を切ってるんです。

ぼくのお客さんというのは、
基本的には、ぼくのことを
かつて信用していなかった人、なんです。
都会にいて、ちゃらちゃらして、
ラクしてもうけて片手間で商売してそう、
というのが俺のイメージだったんです。
土屋 うん。
糸井 でも、
「ほぼ日を見ていると、
 今まで見ていたイトイ像っていうのは、
 こっちが悪かったわ」って、
読者のほうが思ってくれているみたいなんです。

土屋さんのスタンスのままで、
「俺は滅私奉公だけれどもお前ら頑張れ!」
というのでは、ついてこなくって、
俺なら、俺の欲望を、
土屋さんなら土屋さんの欲望を、
まるだしにすることでしか、
きっと、信用されないんですよ。

滅私奉公って、やっぱり、
土屋さん……それは、自殺するよ?
俺も、それは考えたもん。
「あぁ、おもしろかった」って言えるし、
今日死んでも、俺はいいよ、という考えで
けっこう長く生きてきたんです。

土屋さんも、もし今日命がなくなっても、
それなりにいいよなってところ、あるでしょ?
土屋 ええ、そうですね。
糸井 ところが、その大転換後は、
長生きをしたくなったんです。
やりかけのことが増え過ぎるから。
土屋 「見ている人を豊かにするのがテレビだな」
って思ったんですけど、
イトイさんの62時間の中では、
たとえば編集者の女性が本を紹介しましたよね?
それは、読みたいなぁ、と思ったんです。
そういうことは、たとえばテレビはできるとか、
そんな風に、考えたんです。

さっきの法隆寺の話でも、
すごい素敵な話じゃないですか。
それはほんとにぼくらの舵を切らせるかもしれない。
たとえばその話は、「ザ・テレビ」はできないけど、
テレビは扱うことができる。
画面で出すこともできる……。
そういうことは、ひとつ思いましたね。

自分としては、たとえば
いい本に出会うことが、その都度
自分の舵を切らせてきたわけです。

それで、客観的情勢として
みんなが本を読まなくなってきている。
本パラ!関口堂書店も低視聴率の中で
終わってしまうわけですよね。
糸井 でも、あれは、
電波少年的放送局の数でよかったら、
じゅうぶん、続けられますよね。

本に関しては、いろいろ考えるのですが、今は、
「世界一を目指したほうが、いい」と思うんです。
もうけを先に考えないなら、世界一がありうる。
ただ、ほんとうの世界一になったら、
やっぱり、必ずもうけになるんですよ。

エンパイアステートビルっていう建物は、
当時「下品の極み」って言われたんです。
大衆まるだしの施主がいて、
「俺はいちばん高えのが欲しい」
って言って御殿を作ったんですよね。
あのデザインも、まるで御殿のようで、
当時はやっていたのは、コルビジェですよ?

ミニマムでシンプルなものが流行っている時に、
「あんな下品なものを建てて!」って、
インテリからは、総スカンだったんです。
でも、残ったのはそっちだった。

自分の欲望に責任を持てる施主がいるから
残っている、というものも、あるんですよね。
土屋 ぼくの場合、
20何年、とりあえずやってきた意地というか、
「テレビって、ダメだったよね」
って言われたくないという気持ちがあるんです。
糸井 言われたくないよね。
土屋 このままいくと、
「テレビってやっぱり、ダメだったよね」
って言われるんじゃないか、
という感じがすごくあるから、
まずは電波少年的放送局のほうをはじめて……。
糸井 うん。

(つづきます)

2002-06-20-THU

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