糸井 |
大きく土屋さんの歴史をさかのぼって
年表を作るとすると、土屋さんの
仕事上のおじいさんにあたる人って
誰かというと、ぼくは欽ちゃんだと思うんです。
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土屋 |
うん、そうですね。
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糸井 |
欽ちゃんっていうのは、
「人間はすげえ」というか、
「オレといれば、その人はすごい」
ということをやりつくした人ですよね。
あそこからいろいろなことが派生していって、
例えばひょうきん族の中の「牛の吉田くん」とか、
それを連れてくるおじさんとか、
いろいろな風に分岐してきた。
それを、とうとう電波少年というかたちで、
土屋さんは総決算しちゃった。
総決算のあとに来る
「ポスト:欽ちゃんシステム」が
いま4000人の人が見ている
電波少年的放送局だったというか。
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土屋 |
たぶんそこにヒントがあるんですよね。
そこから地上波に戻るべきなのか、
それとも、いまの電波少年的放送局で
とにかく増殖していって、
ひとつの単位、例えば百万人なのか
十万人なのかはわからないけれども、
少なくともある程度の大きさにいって
ビジネスとして成立するかたちに向かうのか……。
そこは、わからないんですけど。
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糸井 |
ぼくは、ラジオというものが、
その「答え」に近いところに
ちょうどある、と、
いつも思っているんですよ。
たとえば、そうとう有名な人でも、
ラジオの定時の番組を持っていますよね。
その場合、
「ただ椅子に座っている山崎邦正さん」
というのと同じぐらいの
チカラの入れかたですよね。
でも、なじんでいくうちに、
お客さんをひきつけられるようになる。
一方で、ラジオ特有の
喋りのうまい人という大道芸人的な人もいる。
そんなバランスが、いつも気になっているんです。
電波少年的放送局って、あのあたりに
向かうんじゃないかなぁと、個人的には思います。
インターネットでぼくのやっていることは、
「表現の方法はよくわからないけれども
蓄積した材料のある人」
をひっぱってくるという方法なんですね。
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土屋 |
うん。
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糸井 |
「学者さんでしょ?
きっと、気難しくてつまらない人だよね」
と思いこんでいる人が多いかもしれないけど、
喋る言葉の種類さえ変えれば、
こんなにおもしろくなるよ、
という例を、ぼくは見せていくわけです。
学者さんでも、作家さんでも、
ある見え方をしているタレントさんでも、
隣にただ友達としている時には、
「やっぱり、すごいなぁ」と思うというか、
それが、ほぼ日でやっていることなんです。
その要素をぼくはおみやげとして
「電波少年的放送局」に持っていったんですが、
笑ったのは、いちばん熱かったメールは、
土屋さんとぼくとの会話だったんです。
学者を呼びましたよね?
タレントさんとの世間話もあったはず。だけど、
「T部長との話に、目が離せなかった」
「スリリングだった」
「あんなに言っていいんですか?」
そんなメールがバッと届いたのは、
土屋さんと話した部分や、それをテキストに起こして
「ほぼ日」に掲載した部分だったんですよ。
土屋さんとぼくって大人同士ですから、
そんなにしゃべっちゃいけないことまで
しゃべるはずがないんですけど、
「普通だったら言わねえな」
ということを確かに言っているおかげで、
お客さんがよろこんでくれたし、
人がたくさん読んでくれた。
文字に起こした時に、お客さんがついたんです。
土屋さん、ほぼ日的には、スターですよ。
電波少年的放送局の規模の小ささになると、
数字で、視聴率を時間ごとにバーッと並べてみたら、
「あゆ」と「土屋さん」が同じ率になるかもしれない。
メディアがこの小ささになるとそうなるという
結果に驚くのが、ぼくが感じる愉快さであり、
ぼくの「研究者っぽい部分」なんですね。
でも、土屋さん以外の人ではできない会話だった。
土屋さんじゃない人が毎晩夜中に降りてきて
「じゃ、ま、テレビについて真剣に喋ろうか」
と言ったとしても、あんまりおもしろくないかも。
そこはやっぱり、
本気でぶつかりまくっている土屋さんの、
ふだんからかなりためている疑問が出たから、
お客さんが「あぁ、そっかぁ!」って
興奮しながらおもしろがったんですね。
これは地上波だったらぜったいに
おもしろがられないことだと思いますよ。
日本テレビで、いきなり、
「土屋・糸井対談」って番組があったとしたら、
そりゃあもう……!(笑) |
土屋 |
(笑)みんな、見ないですね。
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糸井 |
(笑)絶対、凄惨な結果が出ますよね。
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土屋 |
そうなります。
……いま、イトイさんが
「ラジオ」を例えにして言ってたけど、
テレビの特質ってよく考えるんですよ。
例えば、ユーミンのコンサートを
テレビでそのままやったとしたら、
視聴率は10%ぐらいかもしれません。
そこを、内村と勝俣が一曲やります、って言って
『ウリナリ!』でその緊張をぜんぶカメラで追って、
手の揺れから目のアップからすべて
ボンボンボンって出していくと、
数字は26%にいったりするんですよ。
だから、ユーミンのコンサートを
テレビで伝える最良の方法はこれだな、
って、やっていて思ったんですけど。
そう考えている一方で、
ぼくがあの62時間で惹かれたのは、
イトイさんが眠る直前の映像だったんです。
その日のことがぜんぶ終わってみんなが帰って、
ほとんどしゃべらずに「ほぼ日」の原稿を書いて、
フトンをひいて、「じゃぁ、おやすみなさい」と、
あそこが、目が離せなかったんですよね。
そこは
「地上波にはありえない!ありえないよ!」
と言っておもしろがっているのかもしれないけど、
でも、そこにはやはり
フィクションとノンフィクションの間の
揺らぎみたいなものを感じていて……。
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糸井 |
ぼくも、眠る直前は、多少は
意識的に何も喋らない時間を作ったんですけど、
そこは、ポルノグラフィで言うと、
きっと「水分」にあたるんですよね。
生身の人間が濡れている姿、というか。
濡れているほうが、濡れていないよりも
いやらしいものなんですね。
やっぱり、アメリカンポルノには濡れが少ない。
そこを、ぼくは寝る前は濡らしたんでしょうね。
土屋さんは、言わば「濡れ好き」で。
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土屋 |
まぁ、そういう例えで言えば、
ぼくもたくさんの種類のポルノグラフィを
見ているという中だからこそ、
眠る前に何もしゃべらない姿というのに、
ものすごく感じてしまうんでしょうねぇ。
「あ、これは見たことがない刺激だ!」って。
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糸井 |
ただ、それは土屋さんをはじめ、
8人ぐらいの少数人数なんじゃないかなぁ(笑)。
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土屋 |
そうかなぁ?
でも、すごいトクした気がしたんですよ。
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糸井 |
いま土屋さんが、
「ふだんありえないところを見られる」
というよろこびで話していたものって、
「マリリンモンローの陰毛」が売られるみたいな、
そういうものが、ありますよ。
毛一本で、マリリンモンローが無化しちゃうじゃない。
いちばん蔑まれたものと
いちばん上のものとが、すごい勢いで
往復運動するというおもしろさだと思う。
そこのところでは
あの電波少年の部屋にいたらいちばんおもしろい人は、
まちがいなく「天皇陛下」でしょう。
天皇陛下があの部屋に
62時間閉じこめられて放送しているとしたら、
他のどんなゲストの時よりも、
みんなが「土屋さん」になるよね。
何でもないことを画面の向こうでひとつするたびに、
みんなが息を飲むと思うんです。
とてもいいことを言う瞬間よりも、
「あ、咳をした」「タンを吐いた」とか、
そういう、「濡れ」の部分に目がいっちゃう。
そこはやっぱり、「土屋方法」であって、
プラモデルで言うと、
「バリ(鋳型の関係上できてしまう傷)」
とでもいうべき部分だと思う。
そこは、追求しなくて、いいんじゃないかなぁ。
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土屋 |
追求しないとは思います。
だけど、視聴者の部分と送り手の部分で言うと、
視聴者の部分がスタートラインになって
送り手に辿り着くところがあるじゃないですか。
ぼくがおもしろがる部分というのは、
何か月かあとになって
みんながおもしろがるところかも、
ということもありますから、だから考えるんです。
「自分がおもしろいと感じたということは、
そこに何があるのだろう?」
「どの程度送り手としてブラッシュアップしてやれば、
これをみんなが唸って楽しんでくれるのかな?」
とか、そこには、必ずヒントがあると思うんですよ。
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糸井 |
そのヒントは、確かに、
チラチラ見えかくれしているよねぇ。
「濡れ」とか、「おでき」とか、
そういうものが、刺激としては、いいところですよ。
効果的に、視聴者に伝わるものは、そこでしょうね。
まるでそれは、映画で言うならば、
一秒間24コマの映像の中の
20コマだけふつうの画面を入れておくけど、
みんなの気づかない4コマに、実は
「タンのカス」が入っていたとでもいうか。
そういうあたりの、
自分と地つづきの誰かさんを見るようなところに、
「意地悪と安心の接点」があるというか、
そのあたりに、何かありそうですね……。
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