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第47次日本南極地域観測隊に所属する 斎藤健さんへの 旅立ち前の気持ちを伺ったところから はじまりました。 「南極からメールを送りますよ!」 と言う言葉を信じつつも 「はるか彼方からどのような言葉が届くのか ゆっくりと待ちましょう」とお伝えしたのが 約1ヶ月前。 なんと南極、ドームふじ基地での仕事を終えて、 昭和基地にたどりついた 斎藤健さんがさっそくメールを送ってくださいました。 日本を旅立ってから約4ヶ月。 本日は南極から届いた第一声を お楽しみください!
2006年2月11日、 南極大陸の上にあるドームふじ基地から 昭和基地まで1000kmの道のりを 二週間かけて移動しました。 ![]() 「ドーム基地から昭和基地へ」 雪面に点々と見えるのは雪上車とソリ。 雪の下は3000m近い厚さの氷です。 太陽のまわりにはハローが現れています。 ※ハロー:太陽の光が氷晶からなる雲(巻雲、巻積雲)を 通るときに 氷晶による反射や屈折のために散乱されることで生じる。 「雪氷辞典より抜粋」 ご挨拶があとさきになりました。 はじめまして。第47次日本南極地域観測隊、 斎藤健(さいとうたけし)です。 観測隊の中では気水圏(きすいけん)という、 極域の大気、雪氷、海洋を研究している グループに所属しています。 昨年10月30日に日本を出てから 昭和基地と南極点の ほぼ中間にあるドーム基地というところで ほぼ三ヶ月、14人の男所帯で生活していました。 今回は空路で南極入りし、 ビルの立ち並ぶ街から一気に真っ白な世界に置かれ、 少々戸惑いましたが、 12年ぶりの南極を実感しているところです。 特にここ昭和基地は新しくなった建物もありますが、 かつて歩いた道は変わらず、景色も同じ。 帰ってきたなあ、としばし感慨にひたりました。 ![]() 「昭和基地」 場所は19広場(イチキュウヒロバ)といい、 外で何か催し物があるときは19広場集合になります。 名の由来は19次隊が設定という単純な理由です。 薄い緑は廃棄物集積場、黄色は通路。 古い建物は1957年に第一次隊が建てた旧娯楽棟です。 さてドームふじ基地で暮らした三ヶ月の間、 通信に制限があって思うように連絡がとれず、 南極からメッセージを送ることを控えておりましたが、 そうした状況でも、皆さんからいただいたメールは できる限り転送していただきました。 メッセージを拝読していると、 知らず知らずに涙が頬を滴り、 自分の周りにはたくさんの応援があること、 南極へ思いのある方々が たくさんいらっしゃることをひしひしと感じ、 それが日々の生活と観測の大きな励みになりました。 まるで皆さんが身近にいるようでした。 そして、ただただとてつもなく広がる白い大地に住み、 何もないけれど、 皆さんに見てもらいたいと思いながら暮らしていました。 でも残念ながら、 叶えられることはちょっと難しいようですので、 この「南極ほぼ日手帳ものがたり。」を通して 疑問や励ましの回答、 そして私が感じたことを少しずつ 自分の言葉でお伝えしていきたいと思います。 あらためて、日本国内のみならず 海外からもメッセージをいただき、 皆さんには心から感謝し、 ぼちぼち始めていこうと思います。 2006年2月27日 昭和基地、晴れ、気温‐5℃前後。 珍しくほとんど無風。 第47次日本南極地域観測隊 斎藤 健
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