ほぼ日 |
矢沢永吉さんも糸井さんも、
「53歳って、いいよ」と言ってます。
たとえば20代や30代の読者にとっては、
50代は、かなり遠いものですよね。
その年齢は、まだまだ想像もできない、と言うか、
「つらそう?」とさえ思えるものかもしれない。
矢沢さんがテレビのインタビューで、
「まわりがやっと見えはじめたのは、
40代後半だもんね。
オトナになったの、48歳や49歳だもん。
若い時の自分なんて、もう、サルよ、サル」
と言っていたことも、
あぁ、そういうものなのか、と思いました。
糸井さんにとって、50歳になるまでの
年齢のイメージは、どういうものですか?
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糸井 |
確かに、自分が35歳ぐらいの時の
「50歳」って、ほんとうに遠いものだった。
「そんなトシ、来ないんじゃないか?」
もうほとんど、そんなようなイメージでした。
今のほぼ日の読者も、きっとそうだと思うけど、
35歳なら35歳なりの、それまでの何十年間を
「あっと言う間だったなぁ」
と言える割には、その先の何十年間は、
あっと言う間じゃない気がするするんだと思う。
先のことって、ものすごく遠くに見えるんですよ。
なんで遠くに見えるのか、と言うと、
それはきっと……
「進む線路が、一本じゃないから」なんです。
どんなに紆余曲折していたとしても、
過去の自分が動いてきた道は、一本ですよね。
どんなにグニャグニャでも、複雑でも、一本。
だから、自分にとっては近くに見えるわけだし、
「時間の経つのは、はやいものだねぇ」
と、実感を持って言うことができるんです。
だけど、未来の線路というのは、
あの線路、この線路、どれを選んだら
どっちに行くというような選択の連続でして。
だから、年齢や経験を重ねれば重ねるほど、
選択肢や可能性も増えていく場合が、
けっこうありますよね。
10代の時のような、
「自分に選べる道は、これしかない!」
というテーマで生きているわけでなくなる。
ガムシャラでありさえすればいい、
というわけではなくなってくるわけで……。
だからこそ、年齢を重ねるほどに、
いったん、「もう止まろう」と思ってしまえば、
一歩も前に出られなくなるんですよ。
どの線路を選んでいいか、わからなくなる。
そういう不安が、常に出てくることでしょう。
たしかに、そういう決断の連続って、
めんどくさいんですよ。
決断しても決断しても、
枝わかれしてゆくわけですから。
だから、時には、多くの人が、
その決断のめんどくささに、耐えきれなくなる。
たとえば、
「人が何と言おうが、オレはこうやって生きる」
そうやって確固たるものを決めてしまえば、
未来の道もまっすぐ一本の線路で伸びていく。
そうすれば、わずらわされないで済む。
そうやって、自分の道を決めちゃいたい、
という誘惑は、いつでもあるんだろうと思います。
たとえば、小学生のころから
「何になるの?」って言われても、
わかるはずがないというか。
でも、決まっていないことへの不安は、感じる。
だから、時に若い人は、
「わかった! オレはこれだ!」
って、突っ走りますよね。
若い頃のその走る速度のはやさは、
たしかに、それはそれで魅力的だと思います。
青春時代って、考えることをやめることが、
とてもじょうずですから。
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ほぼ日 |
「ひとつのことに打ちこむのが、若さ」
とも、言われますけれど。
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糸井 |
うん。
でも、それは同時に、
「まだ10代や20代の人には、
他の道を思いつくチカラが充分についていない」
と言えるかもしれないです。
経験を増やせば増やすほどに、
「あの道もあればこの道もある。
あの変な道に行かされるかもしれない」
そんなことが、よくわかってくる。
どんどん、迷路が複雑になるんです。
それが積み重なっていって、
だいたい40歳ぐらいをピークにして、
きっとみんな、「選択しつづける迷路」を
走り続けることが、イヤになりはじめるんですよ。
「もう、いいじゃん」って、ふと思うんです。
「40年も、生きてきたんだから……」みたいに。
ガンガンやってきた人でさえ、まわりの人から
「後進に道を譲って」とか言われはじめるわけです。
「もうそろそろ、落ち着いて」だとか。
たしかに、それはそうかもしれないけれど、
ほんとにいろいろわかりはじめる時期なんです。
道を自分で単純にしはじめる人もいるけれども、
なんか、つまらない道は、イヤでもある時期で。
……そうなると、たとえばいろんな企業に、
「新しい気持ちで仕事に臨んで」とか、
「変化」とかカベに貼ってある意味が、
だんだん、よくわかってくるんですよね。
できないからこそ、人はそれをカベに貼る。
新しいことをする、っていうのは、
「新しいことを決断して選択する」ことなんです。
古い方法と新しい方法があったとしたら、
新しい方法で歩む決断をする、という意味です。
その枝わかれがしんどくて、できないからこそ、
人は、自分をふるいたたせたくなってくるんです。
時には自分に命令してまで、新しさを求める。
そうでもしなければ、
わかりきっている道や、自分にできる道を
安易に選ぶということが、明らかなわけで……。
でも、40歳ぐらいになると、
このまま何も手を打たないでいれば、
妙に退屈で、特に危険でもないレールが、
目の前に一本、はっきり見えてくると思います。
前を歩いている先輩が、
さみしそうにも、見えてくるんです。
「あの人、昔は何々だったらしいよ?」
そういう声が、聞こえてきちゃう。
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ほぼ日 |
そう聞いてみると、
「50代って、いいよ」
という話にポーンと抜ける前の40代は、
かなりキツイ時期なのですか。
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糸井 |
迷う時期なんです。
だからこそ、すごく多くの人が
若い異性のハートを射止めることに走ったり、
芸ごと……趣味に没頭したり、するのだと思います。
でも、自分の道の中心じゃないところでの
「おまけ」で、いくらすごいとか言われたとしても
ほんとうには、嬉しくないんですよ。
でも、まだ40歳の頃には、
「個人としての戦い」
という要素が、色濃く残っている。
「オレはあいつには負けない」だとか、
「でかい大会で一等賞になりたい」というような
生々しいところが、かなり残っているんです。
でも、実は、大会で優勝するよりも、
「大会そのもの」を
作ってしまうほうが、かなりおもしろい。
それに気づきはじめるのが、40代の半ばで。
しかも、ぼんやりと見えてくる程度なんです。
ぼくも、永ちゃんが言っていたのと一緒で、
やっぱり自分は、40代後半になるまでは、
ほんとうに、まだ「子ども」だったと思います。
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